東山魁夷という画家の作品に、「道」というものがあります。
描かれた道は、これまで辿ってきた道でもあり、
これからまだ続いていく道でもある。
東山氏はこんなふうに仰っていた。
その存在に対して垂直かつ不断に照らし続けて下さる。
間断なく、常であり、分け隔てもない。
えらばず、きらわず、へだてず。
いしかわらつぶての如くなるわれらをみ胸に
いだきとり、必ず往生させる、果遂せずば
誓うて如来にならじとまで仰って下さる。
それが今口に称え耳に聞こえ骨に響くところの南無阿弥陀佛、念佛のお心であったとは
知らなかった。
今までも、平坦な道ではなかった。
これからもきっとそうだろう。
悲しいこと、やり切れないこと、耐えられないこと、いっぱいあるだろう。
死んでしまいたくなる、そんなことも、
また出てくるだろう。
しかし、この念佛の道、本願の大道を障碍しうるものあることなし。
死なば死ね、生きなば生きれ。
如来ともにまします。
助からぬわれらに必ず往生させるという
無限大悲が平等に垂直不断にかかっている。
今ここに念佛にまでなって喚びかけて下さる。
凡夫よと 喚ばれることの あたたかさ
あらゆるものと 分かち合いたし
南無阿弥陀佛
察するに、東山魁夷氏は回心した方であると
思います。