むなしさとともに

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なぜ自力では助からないのか④

根拠なき自信。これは無明の一側面である。

 

知るべきことを知らぬ、見失っている、

 

忘れ果てている。

 

何とかなる。今までも何とかなってきた。

 

だから、きっと。

 

確かに生きていくことに関しては、必ず努力は必要である。

 

ここは娑婆世界であり、競争の社会である。

 

勝たなければならない。生きていかねば、

 

食べなければならない。

 

自力無効とは、生きていくことに対しての言葉ではない。

 

往生成仏、すなわち出離生死に関して、

 

全く功をなさないことを意味する。

 

なぜなら行も信も成り立たないからである。

 

われ、という心、見返りを求める心が必ず雑ざるが故に。

 

一念一刹那も清浄ならざることなし。

 

法蔵菩薩の清浄の行に対して、僕の自力作善の行を雑行と言われる。

 

雑行では往生はかなうべからず。

 

では、一体どうすればいいのか。

 

南無阿弥陀佛は任せよの仰せ。

 

だからこそ助けると如来は仰って下さる。