根拠なき自信。これは無明の一側面である。
知るべきことを知らぬ、見失っている、
忘れ果てている。
何とかなる。今までも何とかなってきた。
だから、きっと。
確かに生きていくことに関しては、必ず努力は必要である。
ここは娑婆世界であり、競争の社会である。
勝たなければならない。生きていかねば、
食べなければならない。
自力無効とは、生きていくことに対しての言葉ではない。
往生成仏、すなわち出離生死に関して、
全く功をなさないことを意味する。
なぜなら行も信も成り立たないからである。
われ、という心、見返りを求める心が必ず雑ざるが故に。
一念一刹那も清浄ならざることなし。
法蔵菩薩の清浄の行に対して、僕の自力作善の行を雑行と言われる。
雑行では往生はかなうべからず。
では、一体どうすればいいのか。
南無阿弥陀佛は任せよの仰せ。
だからこそ助けると如来は仰って下さる。