人間の言葉は一見美しく、甘美に聞こえる。
その言葉の本質を、その人の言葉がまことか
否かをはかるのは具体的なその人の姿、
佇まい、行動である。人相や声色、
匂いにも、
現れる。嫌な気配を感じると、
身は自然と距離を置く。近寄り難い。
僕は言葉は信じない。その人の行動を
観察し、その是非を捉える。
しかも、継続持続的にその姿を表し、
表現し続ける方がいるとすれば、
その人は本物である。たとえ、
ことばを持たなくても。
一貫した行いを相続させしむるものを
その人は持っている。
まことの信仰とは、静かであり、
一貫相続反復し、
かつ、能動主体的、かつ創造的であり、
具体的現実において、何らかの姿を摂って、
顕現して下さるものである。
それを信心ともいい、信念ともいい、
如来ともいい、浄土とも名づく。
それを総じて南無阿弥陀佛という。
南無阿弥陀佛