修道とは、修習。
習とは反復すること、連続することです。
中略 見が連続していくから修道です。
中略 見が修になって見を完成していくわけ
です。
中略 最後の修を通して完成された見は成仏
になるのです。信心成仏です。
このように聞くというのはただ聞き流すので
はなく無限に反復する。私は学問というのは
言葉から受けた感動を失わずに無限に反復
する以外にないのではないかと思います。
(安田理深先生 親鸞における救済と自証第一巻p129)
こういうお言葉に触れると、そうかと
改めて感動する。見道を何度も反復し、
助からない身に何度でも帰ることが、
いよいよ法の深信を明らかにする。
反復の道程が自分自身にとっては
具体的現実、
他者との関係性なのであります。
現実の所作、挙動にまで降りて下さるのが
南無阿弥陀佛であります。佛の方が
一切を佛縁に転じて下さる。
人は光。光と見いだせるか否かは自分次第。
本当に大切なことだと思う。
南無阿弥陀佛