むなしさとともに

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追記あり 佛説寂静禅経 

最近は便利ですね。

youtubeで初めてこのお経を聞かせて頂きました。


https://m.youtube.com/watch?v=Ruzln5iWVec

 

このお経は直接的には浄土真宗


関係ないように聞こえるかもしれない。


しかし、全く浄土真宗の教えに


等しい響きがある。

 

 


浄土真宗の念佛の信心の道程、信心決定以後、 どうすればよいのか、


何をしていくのか、 そういうことを繰り返し巻き返し教えて下さる、


そういうお経に出会うことができました。

 

 


入り口に過ぎない。こう明確に仰って下さる。


苦難の意味、佛からの叱咤激励。権化方便。


佛からのお言葉は、常に暗示と云う形で示される。お経も同じ。


この御心を頂く、このことが肝要であり、実践において、 獲得せねばならぬ。


自身が徹底的に凡夫であることを


逆説的に知らしめられる。これを獲得といい、

 

佛からすれば回向という。


寂静禅の門前に必須の領解あり。


佛道は利他の道なり。

 

こういうお言葉が佛説である。身の毛いよ

 

だつ響きである。


南無阿弥陀


2020.02.11追記


聴聞はもちろん大切であり、行は


念佛一行でありますが、


これに固執し、自分を特別な者のように


錯覚したがる性があります。


これは性であり、悪癖というか、


身に染み付いてしまっているもの。


そういうことを繰り返し教えてくれるのが、


日常生活、人とのやりとりだと思います。


仏法に限らず、宗教は酔いやすいもの。


心境に酔うことなく、自分の変わらざる


生活を忘れずに、地に足をつけて、


念佛聞法、生活の中に佛の教えを


聞いていきたいです。このお経が


言わんとされていることは、信心獲得は


出口ではない、ということで


ありましょう。入口なのであります。


共に本願に助けられる、助からぬわれら、


なのであります。念佛の信心とは、


差別ではなく、絶え間なく平等を


開いて下さる、


おはたらきでありましょう。