偏らない。
このことを初期の教典には繰り返し書かれている。
最近、仏教の本をしっかり読もうとか、
学ぼうとか、身につけようとか、そういう
気持ちがない。
どちらかというと、世間的な知識、技術、
思考に重点がかかっている。
どうやら、やじろべえのように、
振り子のように行ったり来たりする、
偏ってもまた中心点に戻ることを中道と
言うのではないかと感じる。
だから、仏教にも偏りたくない。
ただ、核心は如来の信心ただ一つではあるが。
また、特に強く感じるのは、
自分は常に渇いている状態にあるということ。
渇愛。
その根源に不安定さがある。
常に何かにこころが動いていて定まらないし、
ろくなものに目が移らない。
この動きを繰り返し観察しつつ、浅ましいことを
繰り返している。
どうしたものか。
僕は酷く渇いている。
南無阿弥陀佛