むなしさとともに

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十地の階梯⑤六地 迷いの因果

参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫

p186

根本の真理についての無知がはたらいて条件と

なっているかぎり、まよいの存在の構成要素も、

つぎつぎに存在しつづける。

もし、根本条件やさまざまな条件が、

すべて滅亡してしまうならば、

それらもつぎつぎに断ち切られる。


なかなか六地以降を読み進めることができず、

繰り返し読んだ。

故に指紋がしみついている。



なぜまよいの存在があるのか。

なぜ苦しみの連鎖が続き、最後には

苦悩と後悔の大木が現れ、また流転するのか。


それは、真理に対する根本的無知が根であり、

諸条件を潤す大地であると、十地経の中で

言われる。

根本的無知がある限り、迷い続けるが、

それが断ち切られる、即ち、智慧に遇うならば、

大悲に遇うならば、もはや因縁は終局を

迎える。終わっていく、尽き果てていく。


無知を無明とも言われる。闇。暗がり。

何が見えぬか。

即ち、自身が今、現に凡夫であり、

助からない者であること。

それは智慧に照らされて初めて知らされる。

ニ種深信と浄土真宗ではいわれる。

これは、信心と念佛と大悲が繰り返し巻き返し 

教化して下さり、年々に深まりをもっていくもの
 
である。ここは非常に大切なポイントである。


因縁が断ち切られぬ限り、流転し続けていく。

因縁を断つものが、佛の名号であり、

佛の誓願であり、智慧と大悲である。

南無阿弥陀