参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫
p243
かの菩薩にとって、主観客観の概念作用(ニ行)も
個的実体の概念作用(相行)も、もはや、いかなる
ものも、いかなるしかたでも、あらわれない。
菩薩がこの階梯に入ると、
七地までとは、全く異なる段階に達する。
この菩薩は、自分自身の安寧を祈る必要が
ない。充足しているから。
何に。自身に。与えられた境涯に。
今、持っているもの、すでに享受してきた
恩徳に。
煩悩は盛っている。
身が滅ぶまで、燃え続けるのだろう。
しかし、煩悩にも涅槃にも依存することなく、
ただとぼとぼと彼の道を往く。
もはや、自身に執着する理由がかの菩薩には
ないのである。
閉塞諸悪道 通達善趣門
貪欲とは怯えと心身の不安定ゆえに、
外物で自己を満たしそうとする意図である。
不安定は不安定のまま、不安定故に
大悲にいだかれている。
南無阿弥陀佛