日常が再び始まった。
自分の在り方が試される。
柔らかさの中にしなやかさ、いわゆる厳しさも
含んだ上で、やりとりせねばならない。
労働を提供する代わりに賃金を得る。
賃金を得るなら、質の高い労働を模索せねば
エントロピー、すなわち、無常に苛まれ、
劣化は避けられない。
何がいいたいかというと、緊張感が必要なので
ある。日常の職業的緊張感、求道における
宗教的緊張感、これを保つ必要がある。
哀しきかな、ここは娑婆世界。
競争と比較の世界。求道のためには、
生き延びねばならない。たとえ、誰かを傷つける
ことになっても、席は限られているのであれば、
奪い取るしたたかさも必要なのである。
僕は道を求めねばならない。
助からない身を抱えているのだから。
故に思想と技術、そして、遂行する力を
求めるのである。止まる訳にはいかない。
学び、得なければならないことが海のごとく
あるのだから。
南無阿弥陀佛
緊張感とは、つまり、一生懸命である。
良し悪しでなく、ただ自分はひたむきに
できることをしよう、仏さまが仰ることを
聞こう、助からぬ身を尋ねていこう、と。
その先に何があるか知らないし、興味もない。
現世利益もないし、そんなものはいらない。