声聞、縁覚にとどまるようではダメである、大乗の菩薩大士は戒める。自利に留まらず、他利、すなわち一切衆生の成仏をともに目指すものを菩薩大士という。なぜ声聞、縁覚ではダメかというと、自利には限界があるからである。自分が分かったとか助かったとか…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。