むなしさとともに

一切の悲しみが尽き果てるまで、共に歩む twitter(@oujouwogosuru)

信心決定後の人生

不退の位

摂取のうえには、ともかくも行者のはからいあるべからず候う。浄土へ往生するまでは、不退のくらいにておわしませ候えば、正定聚のくらいとなづけておわします事にて候うなり(ご消息集 親鸞聖人 p590大谷派聖典) 助かるとは、どういうことか。 実は助かる…

今もまだ道を求めている

忍耐は徳目である。と最近感じる。 徳目の基礎というか、土台というか。 あまりに便利になりすぎて、携帯一つ、 ネットで何でもできて、何でもわかるかの 如く錯覚しがちだがら、わかったというのは 身について、初めてわかったといえるので あり、検索して…

現実における智慧のはたらき

四つの頃から、ずっとむなしさを 抱えていました。存在の意味が分からない、 ということです。今実感するところから 振り返ると。満たされていない。 不安定である。 今も存在の在り方としては、同じです。 しかし、自分は身体ではないし、 目に見えるものを…

大悲方便

願いは形をとる。 美しい言葉、信じない。 甘美な言葉、信じない。 語らざれど、淡々と行じ続ける方、 これ、真の人なり。 信じるに値するのは、表現であり、 動きである。 南無阿弥陀佛とは、大悲が敢えてかたちを とってくたさったものである。 南無阿弥陀…

追記あり 目指すべき道がある

無上正真道。 念佛往生の道。 わが名を称えよの仰せに帰す。 世間は乱れていて、収束はまだ見えない。 しかし、各国の善良な人々が知恵と力を 合わせ、懸命に働いて下さっている。 ならば、自分も自分の場所で、 力を尽くそうではないか。役に立つか、 立た…

十地の階梯⑦第九地 善慧地 自在なる説法

完全に社会に身を置きつつ、それに染まらずに佛の教えを聞き往生を期する。それが本当の菩薩の相というものだろう。声聞には声聞の教えを、縁覚には縁覚の教えを、菩薩には菩薩の教えを、無仏法の人には、道徳を説く。一つに固執せず、時と場と人に応じた道…

念佛がはたらいて下さる相とは

とるに足らない会話。掲示を見てくれたこと、好きなドラマを教えてくれること。アドバイスを聞き入れて下さり、具体的に物事が変わる可能性を感じること。 音響忍という言葉もある。何を感受するかは、自分次第なのだろう。 ストロークという概念がある。存…

挫折を通して道が定まる 追記あり

人間にとって最も大切なことは何か。僕は、その人に道が定まっているかどうか、だと思っている。道というと、抽象的に思われるかもしれないが、道とは、方向であり、原点である。至るべきところ、現在地、自身の現実、これらが見えているかどうか。三者を把…

信心決定後の人生

信心決定後の人生 このようなカテゴリーを追加します。 恐らくこの事について、手探りをされている 方は少なくないのではと思います。少なくとも、僕はそうでした。 道は定まったようだ。しかし、この後、どうすればいいのだろう。 また、真宗でもとりわけ語…

忍耐、薫習、純熟

この1年は改めて、忍耐を学んだ時間でした。六波羅蜜の中で、忍辱とも言われ、基本的な在り方とされますが、これは骨が折れることを身に沁みて感じたのであります。そして、今も試されているというか、ただ中にあるというか。特に人を育てるということにおい…

愛とは行為である

今年、感銘を受けた言葉で、とても驚いた。サーバント・リーダーという本の中に出てきた言葉です。 今の自分の問題は、行である。身心意の三業が一体となっているか。 思ったならば、形を表せ。 形なき思いは空想に過ぎない。手を動かす。矢面に立つ。柔らか…

教行信証

春が来れば桜が咲く。桜は冬の間も根を静かに張っている。 淡々と、静かに。着々と、確実に。 根を張り続ければ、自ずから時が来れば、花は咲く。咲かそうと意図しなくても咲く。 だから、すべきことは原点、基礎、基本を反復して身につけ、現実に教えを体現…

今日まで生きてきたこと

生存は苦である、他の犠牲を強いる自己の生存に僕は悲しみを感じる。かといって、死に偏ることは出来ない。否、死ぬのが嫌なんだと思う。ただ、この37年間の生存のうち、32歳から、今に至るまでは、一応は生きてきた、人の身を生きたと言える。そして、沢山…

助かるということ

念佛称えて助かるのではない。 如来を信じて助かるのではない。 念佛にまでなって下さった大悲。 助かるまじき存在たる我を助け遂げずば おかないとまで誓って下さった 大いなる大悲の願心。これを聞く一つで、 行信、他力の大菩提心まで回向して下さる。 こ…

聖胎長養

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/聖胎長養 また言わく、信は道の元とす、功徳の母なり。 一切もろもろの善法を長養す。 (親鸞聖人 顕浄土真実教行証文類 信の巻) 華厳経のお言葉を引かれておられる。 念佛往生とは念佛の信を長養することだと 思う。現実…

目的と手段が統合される

日常では、目的が先で、手段が問われる。 むなしいとは、目的や意味を見失っていると 言えないだろうか。だから、白けたり、 真面目にするのが馬鹿馬鹿しく思える。 今、お前はどうだと問われるとする。 われ、今はただ一向に行ずるのみ。 もはや結果、ある…

薫習

自然(じねん)とは意識にも上がらず、 考えることもいらないことだと思う。 繰り返し反復する、失敗して、 立ち止まって、また行う。 そのサイクルを繰り返すこと、これが 薫習、自然でありましょう。 身につく。身についたことは忘れない。 こういうことが…

追記あり 佛説寂静禅経 

最近は便利ですね。 youtubeで初めてこのお経を聞かせて頂きました。 https://m.youtube.com/watch?v=Ruzln5iWVec このお経は直接的には浄土真宗と 関係ないように聞こえるかもしれない。 しかし、全く浄土真宗の教えに 等しい響きがある。 浄土真宗の念佛の…

いよいよ助からないことに覚める

聞けば聞くほど、わけがわからない。 どこまでも自分を憑みにする心から離れられない。 助からない。 助からない者よ、わが名を称えよ、必ずわが国に往生させる、という 如来の本願が敢えてかたちをとって今、この口より出でたまうのが 南無阿弥陀佛。 十方…

修道、聞思、知進守退 追記あり

安田理深先生の本にご縁があった。 師の講義録に、このような意味のことが書いてあった。 見惑は強いが、断たれる時は一瞬である。 修惑は弱いが、続いていく。そして我執の奥に法執がある。 蓮の花の茎は、ポキっと折れるが、筋はなかなか切れない、ことに…

2015年

今年のはじめは、絶望だった。 何も見えない。暗黒。希望もない。どうしたらよいのか、 何をすればいいのかもわからない。 持っていたもの、信じていたもの、すべてを捨てた。 というか、捨てざるを得なかった。 ことごとく、自分の心を支えてくれる力がなか…

如来との出遇いから始まった歩み

信心決定。 浄土真宗、親鸞聖人の御教えの根本的なテーマだと思う。 阿弥陀仏の本願に対して、自分は、本願から漏れているのではないだろうか? 救われないのではないだろうか? こんな、浅ましい心の自分では、到底、ダメだ。 はっきりしない。 わが身を当…