むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

徒然なるままに

届かないということ

人間は迷いの存在である。 よって、限定的な存在である。 限定的とは、有限であることを指す。 有限であるということは、思い通りにはならないこと。 思い通りにならないことを(苦)という。 サンスクリット語でdukkhaという。 僕らは思い通りに進んでいくこ…

なんとなく

まだ冬ではありませんが、次第に風が冷たくなってきました。 諸々落ち着くかと思ったら、11月一杯は予定が多くて、ざわざわしています。 ブログを始めてから6年が過ぎたと申しましたが、聴聞を再開してから、も6年半となります。 再開の方が半年早いのです…

浄土真実の行

諸仏称名の願 浄土真実の行 選択本願の行 大行とは、すなわち無碍光如来の御名を称するなり。この行は、すなわちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳法海なり。かるがゆえに大行と名づく。しかるにこの行は、大悲…

雨音が聞こえる

今、雨がしとしと降っています。 雨音が聞こえます。 雨音が聞こえる=雨が降っています。 イコールでありますが、前後があります。 雨が降っているから雨音がするのです。 念佛が聞こえて下さる=念佛させてやりたいと憶いづめの方がまします。 なぜなら自…

2月

ご無沙汰しております。 11月の聞法会を皮切りに忙しく、 どうやら疲れが溜まり、少し体調を 崩しました。齢38にもなると無理が利かなくなるなぁと思います。 ひどいものではなかったのですが、PCR検査をうけ、幸い陰性だった、というもので、 僕自身は感染…

徒然なるままに

徒然なるままにひぐらし、硯に向かいて、でしたよね。徒然草って。 小学生の時、徒然なるままに、という言葉を聞いて以来、何となく、この言葉の響きが好きです。無理がない感じ、自然に流れる感じがするのです。 念佛往生の願というのは、仏さまのおはたら…

薫習

迷いの種を薫習しっぱなしで悪循環している ところに、悟りの種子・悟りの香りを薫習 していけば、アーラヤ識は変わる、変わりうる。 本質的に私たちの心は実体ではなくて、 種子の集まりとしてある。 だから、種子の集まりの質を次第に 変えてゆき、やがて…

最近思いますること

仕事柄、繁忙が4、5月となり、かつ、 コロナの件も重なり、神経をはって過ごして きました。 それが、一つ区切りを迎えました。月末に まだ残っているのですが、難易度と期日から 山場は越えたといえます。 今日は数カ月ぶりの有給休暇というやつで、 家で音…

何を求めてきたのだろう

今更ながら分からなくなってきました。 自分は何を求めてきたのだろう? 僕は四つの頃から記憶があるのですが、 空虚感をずっと引きずってきました。 今もそうです。 厳密にいうと、 以前:生きていること、 存在することそのものの意味のわからなさ 今:存…

良い天気だ

空は青く、澄んでいる。 桜を愛でたいが、浮かれてもいられない。 時節到来、収束の目処が立つまで、 仕事の区切りがつくまで、弛むことは できない。 聞法会も中止。だが、念佛は人も時も場所も 選ばない。今、ここに不急のことだらけの 自分に南無阿弥陀佛…

少し離れます

暫くブログから離れ、考えてみようと思います。時々あるのです。沈滞というか、上手く言葉にできないのですが。いったりきたりというか。では。 ツイッターで徒然なるままに。ナナシ@oujouwogosuru 南無阿弥陀佛

あるがまま

僕自身のことをいうならば、助からない身に身を置くことこそ、大事なんじゃないかなと思うわけです。 今はただ、助かりたいなどということも忘れ果てて、ただ、共に、今を過ごすことが大切というか。今もカラオケして過ごしてきました。僕はかっこつけるのが…

2019年

忍耐を学ぶ一年だった、こう言える。ただ耐えるのではなくて、先を見据え、堪えつつ、準備をしていく。 一歩一歩。ゆっくりかつ確実に。学んだことを実行し、失敗し、忘れては、また思い出して。遅々とした進み方であったが、地に足をつけて進んできた。その…

明鏡止水

明鏡止水は自分の心ではない。もろともに往生を願い、できることに励む。如来の願心が明鏡止水、すなわち、寂静。寂静は柔軟であり、柔軟は堅正であり、かつ、しなやかである。凛とし、気品のある、眼差しと佇まい、寄り添うあたたかい言葉。同じ大地に共に…

必帰最勝直道

大聖一代の教、この徳海にしくなし。穢を捨て浄を欣い、行に迷い信に惑い、心昏く識寡なく、悪重く障多きもの、特に如来の発遣を仰ぎ、必ず最勝の直道に帰して、専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ。 (顕浄土真実教行証文類序 親鸞聖人)なぜ生まれてし…

むなしさを大切にしたい

そのむなしさを信頼しなさい。 かつて、和田稠先生が仰った言葉と聞いている。 振り返ると、物心がついたのは、おそらく、四歳くらい。幼稚園の記憶。同じクラスの子たちは淡々と折り紙を折っていた。でも、僕は全然折れなかったし、折り方を覚えることもで…

雑感

人間が救われるとは、念佛を通して佛の底知れぬ真実なる大悲に出遇い、まことの言葉、即ち、佛語と世間に含まれている、佛からの暗号によって教化されていくこと。即ち念佛往生が阿弥陀佛の救いのはたらきである。暗号の概念はヤスパースも示唆して下さって…

ゼロとイチは違う

何もないところから、何かを生むのは大変だ。他者はこのイチを軽んずる。しかし、自分は身を通して体解する。ゼロとイチは質の異なるものであることを。イチの中には目に見えぬものが籠もっていることを。相を通して、相を相たらしめているものを直覚する。…

閑話休題

偏らない。このことを初期の教典には繰り返し書かれている。最近、仏教の本をしっかり読もうとか、学ぼうとか、身につけようとか、そういう気持ちがない。どちらかというと、世間的な知識、技術、思考に重点がかかっている。どうやら、やじろべえのように、…

正直な気持ち

唯識は難しいと聞いたことがあるが、 実際すごく微細で、言葉も難しい。全然 わかりません。 最近は真宗のお聖教ではなくて、唯識の 本をゆっくり目を通している。 煩悩に対する分類分析も細かいし、 歓喜地、信心決定がどういう意味を 持つかも表されている…

静けさ

静けさを希求している気がする。 物事が終わり、尽き果てる静けさ。 始まる前の静けさ。 静かだが、脈打つ静けさ。風雪に耐え、 一途に春を待つ桜の木のような。 なんとも言えないが、 やはり寂静寂滅という言葉が相応しい。 寂静寂滅は逃げることではなく、…

ともに歩む

自分だけ助かって終わるのではなくて、 同じ地平に立ってともに本願念佛を仰ぐ。 ともに尋ねていく。ともに聴聞する。 そこには自分一人では決して辿り着けぬ 何かがある。それを寂静とか涅槃というのだ と思う。すべて終わった世界。また始まる 世界。往生…

ニヒリズムを超える

ニヒリズムを超えることは、 人間の知恵、分別知では難し。 意味を見出し続けることは非常に困難で あり、果てがない。 もしも、超えることがあるとすれば、 自分の感情、感覚をさしおき、相手に しないこと。むなしさはなくならない。 悲しみもなくならない…

変化は面白い

変わることは面白い。 変わることは動くこと、反応したり、 適応すること。 ただし変わらぬ軸を獲た上で、 敢えて変わることを選ぶことと、 流されて変わること、即ち、 変わることを忌避するけど、変わらざるを 得ないのとでは、相が同じでも意味が異なる。…

冷静に淡々と

元号が変わった。 平成最後。新しい時代。 テレビはほとんど見ないので、繰り返し こういう言葉が使われていること、 退位と即位の報道が飛び交っているのは とても違和感がある。何か国民に印象づけ ようという意図があるように思う。 一年に何度元号を思い…

薫習

自然(じねん)とは意識にも上がらず、 考えることもいらないことだと思う。 繰り返し反復する、失敗して、 立ち止まって、また行う。 そのサイクルを繰り返すこと、これが 薫習、自然でありましょう。 身につく。身についたことは忘れない。 こういうことが…

虎視眈々

新しい期が始まりました。 個人的には大晦日より、3月末が 年末のような心持ちです。 虎視眈々。 これがこの一年のスタイルになります。 チャンスが来るまでしっかり牙を研ぐ。 研ぎ続けていく。獲物は逃さない。 必ず仕留める。実生活の方針です。 一方で…

挫折の地をおもう

時々苦い思い出のある地を訪れる。 少し胸がチクっとする。思い出が蘇る。 何もできなかった半年。 今の自分が戻ったとしても、きっと太刀打ち できないだろう。でも、そういうだめな 自分でよいのだ。自分は自分を一歩一歩 進むしかない。ともに歩み、みそ…

沈静

ブログの更新頻度は落ちそうです。 具体的現実に対して、どうするのか、 これが直面する課題だからです。 実際に落とし込む、これはどういう意味が あるのだろう。なるほど、そういうことか。 こういう一人の問答を繰り返しています。 往生とは生活である。…

暗がりに差す人すじの光。 進むべき方向がわかる。 光のはたらき、方向がわかれば、 安心してそちらへ進めばいい。 必ず出られる。 南無阿弥陀佛