むなしさとともに

一切の悲しみが尽き果てるまで。南無阿弥陀佛

智慧波羅蜜

汝、懐に入るべし

不可思議なる如来の教法。確かに善巧方便を賜りました。こういうことが時々起こる。 どうすれば、歪みを埋めれるか?即ち、自分の動き次第なのですね。 言い訳を重ねるより、今できることをしなさい。利用できるものを使い、相手のことを知る努力をなさい。 …

自然なる思案

十牛図という譬えがある。見性を通り、一周回って元に戻る。元に戻ったが、実は全然中身が違う。そして、最後は市井の人として、人々と交わり、酒を呑み、談笑し、伴に涙を流し、死んでいく。こういう格好つけない普通の姿に心惹かれる。なぜなら、全く無理…

連鎖を終わらせる

苦悩、すなわち思い通りにならないこと。これに対峙した時、逃げたくなる。恨みたくなる。言い訳をしたくなる。他者のせいにしたくなる。つまり、自分の問題だと背負いたくないのだ。あまりにも問題が重すぎて背負いきれない。 そうすると、不平不満、愚痴、…

迷いの直視、智慧の光明

煩悩はいよいよさかっている。悪性も止まない。浅ましいと思うが、やめられぬ。ここに一瞬の痛みがある。嘆くことなかれ。痛みは何によってもたらされているか。即ち智慧なり。光明なり。悪性を悪性と照らしいだす智慧なり。智慧がまことで、われは虚仮不実…

ニヒリズムを超える

ニヒリズムを超えることは、 人間の知恵、分別知では難し。 意味を見出し続けることは非常に困難で あり、果てがない。 もしも、超えることがあるとすれば、 自分の感情、感覚をさしおき、相手に しないこと。むなしさはなくならない。 悲しみもなくならない…

やわらかさ

※アプリに不具合があり、同じ記事が複数上がってしまい、スターを頂いた記事を誤って削除してしまいました。慎んでお詫び申し上げます。ごめんなさい。言葉、振る舞いに柔軟性をもちたい。 しなやかさ、柔軟さには、実は芯がある。 ただし、その芯は目には見…

我執が削がれてゆく

佛法、浄土真宗には二つの利益があるとされる。 一つには、入正定聚の益、すなわち住不退転。 二つには、必至滅度の益、すなわち往生成佛。 後者は、期するところの益であり、往生には出発があり、 必ず遂げられるという性質がある。よって、 これは論ずるこ…

願生彼国

わが国に生まれんと欲え、は本願の心。 それが至り届き、念佛の信心、善知識に お育て頂き、阿弥陀の国に生まれたい、即ち もはや我涅槃も欲さず、諸々の衆生と ともに往生したく、一切衆生往生せずば我 涅槃に入らじ、という微かな光が見える。 これは願生…

閉塞諸悪道-地獄を超える

共に往生遂げたし。 一切衆生往生せずば我如来にならじという願は何処から来るのだろう。 自分の中にはこんな尊い願はない。 もしあるとしたら、やはり如来の本願力に よるのだろう。 自分は助からなくてよい。 もう自分は十分よくして頂いています。 常に如…

無功用

達磨大師の言葉に、無所得があると聞いております。 曽我量深先生の言葉に、回向は表現であるというものがあります。 往生は表現であると僕は思います。そして、それを表現する人を 諸仏に等しい方々だと思います。そして、その方々は今も満ち満ちて おられ…

弥陀の本願

選択本願念佛とはわたしの原点であり、一切衆生の原点である。 自分は凡夫である。故に何度でも本願念佛の道から曲がっていく。 常にわが心身への楽を中心に考察し、行動する。 この身を具足している以上、煩悩を避けることはできない。 かといって、煩悩に…

後念相続

縦と横と高さ、それに加えて真実の時間。 人間世界は三次元で、有限であるが故に広げようとしたり、 はみ出たり。故に衝突と摩擦と煩悩は止む暇がない。 しかし、如来は常住であり、念佛に帰れば智慧がはたらき 生死即涅槃、色即是空空即是色、そのままであ…

智慧が導いてくださる

一切智が如来を如来たらしめていると経典に 説いてある。最近は般若経を聴聞している。 聴聞しているといっても本を拝読しているという意味だが。 智慧の念佛。信心の智慧。智慧の光明。 光明無量。無辺光。 無執着は般若の智慧に依って裏付けられているから…