むなしさとともに

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歎異抄のお言葉

歎異抄聴記⑦本願の機は誰か

身とは一生涯変わらぬ自分である。自分の心は時々刻々に変わるが、わが身は一生涯貫通して変わらない。ゆえに「自身」という。衆生とはすなわちわが身である。われら衆生である。「罪悪深重煩悩熾盛の衆生」。すべて宿業に悩まされている苦悩の衆生をすてず…

歎異抄聴記⑥信心の徹照

なぜ信心をもって肝要とすというかとならば、罪悪深重である。ただ信心だけはいっさいの自力の機のはからいをすてて、自力無効としてもっぱら深く如来をたのむ信心、それに対して罪悪深重という。本願を深く信ずる人はやはり深く自分の罪悪を信ずる。罪悪の…

歎異抄聴記②機の深信

機の深信は法の深信が根源で、法から機を開くについて、二種深信ができる。ゆえに、二種深信としては、機の深信が主なるものである(p32-33) 今生では信が発起したとしても、佛になることはない。これは、ある意味の断絶を表す。つまり、この身で助かることは…

歎異抄聴記①現生不退

p16-17 現生不退とはなんぞやというと(略)、現生不退とは自覚自証である。(略)「歎異抄」はおそらく現生不退の内容をもっとも明瞭に示されてある。これ「歎異抄」のすぐれたる特長である。 正定聚不退の位。 真宗において明らかにしなければならないことだと…

歎異抄聴記にたずねたいと思います

https://www.amazon.co.jp/dp/483410267X/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_A69XCZREGDDB2JTQZ2VJ?_encoding=UTF8&psc=1 曽我量深先生のこの本が気になっていたので、ようやく買いました。 暫くたずねてみたいと思います。 現生不退と機法二種深信。 このことに力点が置…

仏かねてしろしめして

よくよく案じみれば天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。 よろこぶべきこころをおさえてよろこばせざるは煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして煩悩具足の凡夫とおおせられた…

宗祖親鸞聖人より③本願に帰す

親鸞におきては、ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべしとよきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり (歎異抄第二条) この言葉は道を定めて下さるお言葉である。 よきひとの仰せをそのまま頂き、念佛するよりほかに道あることなし。 この…

そくばくの業をもちける身にてありけるを

歎異抄にある。 そくばくの業をもちける身にてありけるをたすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ。 夜、目が覚めて暫く眠れなかった。 色々なことが去来した。 それを通底して流れているものが、自分がいろいろな事にがんじがらめである、という…

苦の存在たる事実

苦とは、思い通りにならない、ということ。すなわち、形を持つ存在は微塵の例外なく、一切が苦の存在である。無常を免れるものあらず。移り変わっていく定めにある。われも、かれも、かのじょも、一人も免れることあることなし。この事実から目を逸らさずに…

自身に引き当てる

社会の問題に自分はどう関係するのか。 なぜこういうことが起きてしまうのか。 この結果に至るまでに、この人はどういう 日々を過ごし、誰に会い、 何を教わったのか。何がそうさせたのか。 本当の理由、それに至った経緯は他者には おろか本人にも分からな…

迷い続けている

この世で悟りを開くことはない。 煩悩具足の身であるが故に、と 親鸞聖人は仰っている。とても悲しい。 ただし一つの道まします。念佛往生の道と 名づく。煩悩がなくなることはない。 因はすでに具足す。縁は刺激、遭遇。 果は必然して催される。苦悩する。 …

彼はわれだったかもしれない

さるべき業縁のもよおさばいかなるふるまいもすべし(歎異抄) 法治国家である以上、国が定めた一定の規範の中で、 自由を享受し、義務を果たさねばならない。 また規範を逸脱する行為には社会的法的制裁が課せられる。 彼は確かに弱いのかもしれない。酒に…

本願のかたじけなさよ

かたちあるものは移ろい、滅んではまた生まれていく。 ただ如来のみ常住であり、無常と煩悩を超えているが故に、 常住である。 この世の一切はもえている、と釈迦如来は仰っている。 自分が全くの凡夫であり、助かりようがないことを 徹底的に知らしめる。何…

お同行の言葉

土徳と善知識に育てられたお同行の言葉は、 たとえ理性的ではなくても、しみこむように感じる。 仏法を聞いたら、ちっとはましな人間になれるかと思っているが、 どうでしょうか、と尋ねたら、先生は「あんたは諦めなはれ。 ただ念佛申しなさい」と仰ってく…

ただ称えよの仰せ

依るべきものがなく、できることもなく、わかることがひとつもない。 とても悲しいことだと思うが、これが自分の実相。 何か分かるとかではなくて、本当に一切何も分からない。どうすればいいのか わからない。何をすべきかも、何を望んでいるのかもわからな…

讃嘆と悲歎

親鸞聖人の教行信証のうち、御自釈は結論ではなく、 自分自身の感動を表白したものである、と聞く。 結論のようにずっと聞いていたなぁと思う。 よき人法然上人に出遇った歓び、本願念佛にたすけられた感動。 たすけられながらも、まったく変わることがない…

本当に何もわからない

どうすればいいのか、とか、 あの時、ああすればよかったのかとか、 そういう思いがわいてくる。 日常の中でも、どちらがよいのだろうか、 この言葉を使ったほうがよいだろうか、色々と慮る。 定善を息慮凝心といい、慮りを止め、心を集中すると伺う。 散善…

追記あり 善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり

仏法を聞く、聴聞することを「善いことだ」と思っていないか? 「善い」から聞くのではない。 「聞かねばならない問題」を抱えているから、聞かせて頂くのであって、 「善悪」の区別のうえに、「善」を選んでいるから聞くのではない。 「善悪」に立って、仏…

この身を生きる

今こうして人の身を頂いているということの意味を問う。 自分が人として生まれざるを得ない理由があったのだ思う。 この世をお釈迦様は、娑婆世界と仰った。 娑婆世界では一切が無常である。 そして、そこに住むものは、煩悩具足の凡夫。 歎異抄にはこうある…

さるべき業縁

たくさんの方がお亡くなりになった事件が起こってしまった。 詳細はまだ見ていないから分からないけれども、 とても他人事とは思えない。 世の中には、信じられないような出来事が次々と起こっており、 実際に世にあらわになることは、氷山の一角に過ぎず、 …

仰せのままに、そのままに

www.weblio.jp そのままとは、今までの状態のとおり。あるがまま。と出ています。 そして、今までの状態のとおりとは、今現在の状態と頂きます。 乱れ心のまんま。 わけのわからない心のまんま。 浅ましい心のまんま。 疑いをもったまんま。 悲しいなら悲し…

今回の学び

本当は聴聞する心はないはずなのだが、 不思議と足を運ばせて頂いている。そして、今年もご縁を頂いた。 今回も新しい発見があり、出会いがあり、感動があった。 忘れる前に記そうと思う。 真宗は自己を見るまなこである。 自己を相対化するために、阿弥陀さ…

如来の棄てられたものを棄てる

選択本願の念佛。 浄土真宗の行は、称名念佛の唯一行。 助行を除く、他の一切を雑行とよび、棄てている。 棄てるとは、憑りにしないこと。拠り所にしないこと。 称名念佛は、如来の選びとられた行である。真実の方便である。 五濁悪時群生海 応信如来如実言…

本願にすべてを託す

先達にお伺いしました。 『衆生のことは仏の仕事であり、自分たちはただただ、 法を聞くよろこびを伝えるだけでいいんだよ』と。 『どうにか伝えたい、出遇ってほしい。ひとりでも、 自分は自分でよかったんやと腑に落ちてほしい』 そう思ってブログを書いた…

一生造悪

一生造悪値弘誓 至安養界証妙果 一生悪を造れども、弘誓に値ひぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむいえり。 (教行信証 行文類 正信念佛偈)(浄土真宗聖典第二版p206) 一生造悪とは、悪を造り続ければ、存在する事ができない、自分のこと。 既に因は内…

ただ念佛して

自分は決して仏弟子にはなれない。 自分の心の中には、いつまでも眠りたい、夢を見続けたい、 フトンから出たくない、おいしいものが食べたい、 貧しい暮らしをおくりたくない、健康でありたい、 こういう心しか湧いてこない。 何が悪いの?と思うかもしれな…

聖道の慈悲と浄土の慈悲 追記あり

詳しくは、歎異抄にてご覧下さい。ここでは省きます。 自分がこれらの言葉をどう感じているか、文章を通して、 確かめたく存じます。 聖道の慈悲とは、人間の思いやりのことだと思う。 小さき命をいつくしみ、育てたり、ボランティアや寄付に限らず、 肉体・…

自分が問われている

慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。 無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。 (真宗聖典p275 教行信証 信文類) 今日のお話の中で、自分は、果たして、ひと、なのか、 畜生なのか、を問われた気がした。 正直、自分は無自覚で、うま…

いかなるふるまいもすべし

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし(歎異抄 第13章) 国民的アイドルのことや、タレントの問題で、 あれはダメや、とか、いろいろ批判とか、批評するのは簡単だ。 そして、それで自己満足していればいい。 自分には、彼ら、彼女の問題、あ…

ひかりと闇を想う

僕は、本当に死に掛けたことがあります。 これは、身体の不調というか、心の不調、 つまり、心が死に掛けたと思っています。 厳密にいうと、自我がわたしを襲ってきた、といえるかもしれません。 自分が自分を否定する。それが繰り返され続ける。 延々と。 …