むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

歎異抄のお言葉

いかなるふるまいもすべし

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし(歎異抄 第13章) 国民的アイドルのことや、タレントの問題で、 あれはダメや、とか、いろいろ批判とか、批評するのは簡単だ。 そして、それで自己満足していればいい。 自分には、彼ら、彼女の問題、あ…

ひかりと闇を想う

僕は、本当に死に掛けたことがあります。 これは、身体の不調というか、心の不調、 つまり、心が死に掛けたと思っています。 厳密にいうと、自我がわたしを襲ってきた、といえるかもしれません。 自分が自分を否定する。それが繰り返され続ける。 延々と。 …

16.5.10追記)聴聞

結局、自分自身の生きている意味を見つけるためには、 末とおりたる慈悲に、全託する以外に術がないように思います。 まかせる、ということは、託すことだと思います。 では全託するには、どうすればよいか。 ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし、の…

お念仏を味わう

南無阿弥陀仏は、畢竟、最後の言葉だと思う。 なぜなら、ただ念仏申すことが、そのまま自分の一切を弥陀に託すことに なるからだ。 最後の言葉。 これは、通常、私たちが日常生活を送る中で、ただ念仏申すと思う心は 発起しない。 そこにやはり、念仏を自分…

無碍の一道

念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、 信心の行者には天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。 罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、 無碍の一道なりと云々(歎異抄 第七章) 仏法は、障り(苦ー思い通りに…

わたしの歩み、これからの歩み

自分は、なぜこのブログを始めたか、というのは、過去の分に 書いたのですが、結局のところの、結論は、 本当に満足のいくものは、真宗の教えに実在しており、自分は、 それに遇うことができた。不思議なご縁を賜りました。 なので、このブログを通して、少…

苦の意味

苦しいというと、自分が思い煩う、ことのような気がするが、 仏教での意味は、「思い通りにいかない」、ということだそうだ。 では、自分の望みが思い通りにいけば、それで満足するのだろうか? たぶん、それらがかなっても本当に満たしてくれるものは、ない…

他人事ではない

犯罪。悲惨な事件。 それらは、他人事だと思っていた。それは、被害を受ける側に留まらず、 さすがに、自分もそんな馬鹿なことはしない、と。 でも、今は、身に染みて思う。 やりかねない。その因子が自分にはある、と。 『さるべき業縁のをもよおさば、いか…

悪の天才

食べること一つとっても、どれだけの悪を作り続けるのか。 他のいのちを奪わなければ我が身を保つことができない。 悪事をやめよと教えられても、止める力がない。 少しはあるとかではなく、皆無である。 こういう業を抱えたものを目当てにされている方がま…