むなしさとともに

一切の悲しみが尽き果てるまで、共に歩む twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

徒然なるままに

徒然なるままにひぐらし、硯に向かいて、でしたよね。徒然草って。 小学生の時、徒然なるままに、という言葉を聞いて以来、何となく、この言葉の響きが好きです。無理がない感じ、自然に流れる感じがするのです。 念佛往生の願というのは、仏さまのおはたら…

残酷な世界

世界は残酷だ。 進撃の巨人ではないが、やっぱりそう思う。 ここは平等な世界ではなくて、あまたの差異があり、不均一である。 自分の居場所はどこにもなく。 それぞれは居場所と思しき場所を懸命に守っている。 居場所と思しき場所は、有限であり、それを保…

宗祖親鸞聖人より③本願に帰す

親鸞におきては、ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべしとよきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり (歎異抄第二条) この言葉は道を定めて下さるお言葉である。 よきひとの仰せをそのまま頂き、念佛するよりほかに道あることなし。 この…

大悲の願船

しかれば、大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず(東聖典p192顕浄土真実教行証文類行巻) 南無阿弥陀佛とは、大悲の願船である、と親鸞聖人は仰られている。 船とは岸から岸へ渡してくれるものである。 海を渡るのは船の…

そくばくの業をもちける身にてありけるを

歎異抄にある。 そくばくの業をもちける身にてありけるをたすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ。 夜、目が覚めて暫く眠れなかった。 色々なことが去来した。 それを通底して流れているものが、自分がいろいろな事にがんじがらめである、という…

宗祖親鸞聖人より②発心

仏法を行ずる人よ、よくよく知らねばならぬ。仏法を知識として学ぼうとするなら、凡夫から聖者にいたり、さらにそのうえ仏果にいたるまでも、みなさわりなく学ぶことができる。しかし、仏法をわが身に行じようとするなら、必ず自分にゆかりのある教えにたよ…

凡夫の痛み

汝、凡夫なりと自覚せしめられる時は痛みを伴う。 全くの凡夫にすぎないことを知らされる事を できるだけ避けてきたのだろう。 でも、この鋭い痛みが拓いて下さる世界がある。見せて下さる衆生がいる。 だから、目を逸してはいけない。 目を逸してしまった人…

宗祖親鸞聖人より①人と生まれて

ああ夢幻にして真にあらず、寿夭にして保ちがたし。呼吸の頃に、すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いつれば、万劫にも復せず。この時悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまわん。願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を胎すことなかれ。 東聖典p183-1…

ZOOM研修会でお話したことの引文

一週間前に、ZOOM研修会がありました。 主催の一員ということで、お話をさせて頂きました。 僕は僧侶ではないですし、教学もないですし、講義ではないので、あえて聖典をめくることはしませんでした。 しかし、聖典の言葉を引いてお話はしたつもりなので、こ…

日常に埋没しつつも

今回の会座が終わってから、もう四日??? 時間が経つのは早すぎる。。 しかも、今月は色々なイベントがあり、 今日は、仕切らなければならなかった。 向いていないんですよね、元来は。 でも、やる以上は、安全に配慮し、最後まで 手を抜かず、油断せずに…

現実が大切だと思う

このことはよく分からなかったのですが、 本当に現実が大切なんだと思うのです。 一人ひとりが居られる現場のことです。 ここで問われるのです、自分の在り方が。 傍観者になるか、当事者になるか。 心境にとどまるか、表現するか。 即ち往生の問題です。 正…

2日間、ありがとうございました

さきほど、お土産を何にしようか迷いました。 決めるまで時間がかかりました。 多すぎて何を選べばいいか、わからんのですね。こっちがいいか、選んだあとに、もっとよいものがあって、折り返したり、うろうろしました。 なるほど、多すぎると選べないのだと…

如何でしたでしょうか

研修会に参加頂いた皆様、お疲れ様でした。 おかげさまで、一日目を過ごすことができました。 寝床に居て思いますのは、皆様の話を聞かせて頂くことかとても大事なのだなぁと思うのであります。 ともに助けられるわれら、これが大乗なのだろうと感じるのです…

極悪深重の衆生

極悪深重の衆生は 他の方便さらになし ひとえに弥陀を称じてぞ 浄土にむまるとのべたまう(高僧和讃) 他の文字に左訓あり、 余の善、余の菩薩の方便にては、生死出でがたしとなり。 仏の教えとは、自身に引き当てて聞けよと教えられる。衆生と言っても、具…

何のために仏法を聞いておられるのですか?

この問いを忘れて聴聞しても何にもならないと思う。 存在の決着をつけるために道を求める以外、動機はないのでは、と思うからだ。 師は度々仰る。 人間にとって無意味な人生は耐え難い、と。 意味のある人生、価値ある人生とは何だろうか?恐らく各自でその答…

自覚の信

我々には機の深信が大事である。万死に一生をかけて一歩前進する、これが本願念佛の道というものである。 一応信心決定しても、その信心が自覚の信になることが容易でない。親鸞聖人は法然上人にお遇いなされて一応お解りになったのであろう。 法然上人のお…

如来の本願、称名に顕る

天親菩薩の論、註解して、如来の本願、称名に顕る(浄土文類聚鈔親鸞聖人東聖典p412) かたちを必要としないものが、あえて自分を捨ててかたちを選んで下さったのが称名である。 あの人は誠実な人だ。 何を以てあの人を誠実とする? 彼、彼女はどんな人にも礼…

自灯明、法灯明

自分は、どこの寺院にも所属していない。 多分ずっとそうなのだろうと思う。 寄っかかりたくないというか、依存したくないというか。 お釈迦様はおっしゃられた。筏の例え。 船は岸辺へ着いたら、船はそこに置いて歩いていく。いつまでも船の周りでたむろし…

未生怨を超えせしめる道−横超

https://twitter.com/oujouwogosuru/status/1314352732111683584?s=19 【未生怨】とは、アジャセという言葉の漢訳だそうです。 端的には【縁起を憎む心】だそうです。 もう少しいえば、 【縁起を選り好みしようとする心】かもしれない。 つまり、自分の価値…

方便法身の大悲

今日、ZOOMの聞法会に参加させて頂いた。 研修で使ったことがあったが、プライベートかつ、聞法会では初めてだった。 感想は、改めて、その場に足を運ぶことは、それそのものに力があるのだなということだ。 先生は、悩んでおられた。どうすれば毎年継続して…

ZOOM研修会のご案内です

【事前案内】 11/7.8の土日9時〜17時でZOOMの研修会があります。 講師のご法話、全体座談の繰り返しになるかと存じます。 初日の午後、僕もお話の時間を少し頂く予定です。 会費は一日4,000円です。 もしご興味があられたら、コメントにメールアドレスを頂け…

摂取心光常照護

摂取心光常照護というは、信心をえたる人をば無碍光仏の心光、つねにてらしまもりたまうゆえに、無明のやみはれ、生死のながきよ、すでにあかつきになりぬとしるべしとなり。(尊号真像銘文 親鸞聖人 東聖典p532) 光とは照らすもの。照らすということのはた…

実際に念佛するということ

仏、阿難に告げたまわく、「汝好くこの語を持て。この語を持てというは、すなわちこれ無量寿仏の名を持てとなり」観無量寿経 流通文より。 これは、仏が阿難尊者にだけ仰ることではない。流通文というのは、どうかこのことは必ず後世に伝えてほしいという意…

静寂

朝の静けさが好きだ。 動いていないというか、動く前の静けさ。 動き終わった後の静けさ。 音も無く、少しずつ明るくなっていく。 涅槃寂静という言葉の響き。美しい言葉。 静けさから動きに変わっても、 なお失われない静けさというものがある。 原点といっ…

どうして聞法に行くのか

聞かねばならない、助からぬ身を離れることがどうしてもできないからだ。 どうやっても、この心身の影響を受けざるを得ない。 この身は無明住地から生起しているので、余すところなく円満に煩悩に染まっている。 しかし、だからこそ、汝を助けんという念佛の…

【再開します】光

最近、ずっと考えている。 凡夫には、自分を凡夫だと自覚することはできないはずだ、と。 なぜ自覚できるか?必ず自分は凡夫であると。 その理由はひとつ、光が届いておられるから。 だから、自分を嘆くことやめ、専ら大悲を憑めと先達、善知識は仰せられる…

【暫く更新は止まります】未生怨ということ

一つ、とても気になることが生じた。 未生怨というものです。 観無量寿経、涅槃経に出る、 アジャセという言葉は、未生怨という意味があるそうです。 端的にいうと、縁起を憎む心、のようです。 この心が確実に自分の心に在ると感じています。 これは他者の…

思いますこと

コロナ禍の中で思うこと。コロナウィルスにかかることよりも、かかった後の自分に対する他者、世間の反応が怖い。 平素隠された本質が感染したことを縁に露出する。 本質がないわけではなくて、露出する縁が来ていないから他者に親切にできるだけで、いよい…

不安と怯え

根本的に不安と怯えを抱えていると思う。 捨てられるのが怖い。要らないと言われるのが 怖い。 怯えがあるから、他者を信頼できない。 怯えがあるから、他者を攻撃し批判する。 怯えがあるのは、不安だからだ。 不安とは、不安定である。 ふらふらして、定ま…

維摩経の一説

大乗仏典7 維摩経 首楞厳三昧経 p79中央公論社より 病気の根源 その病の根本とは何か。対象をとらえることが根本です。対象としてとらえられたものがある限り、そのものが病の根本であります。何をとらえているかというと、全世界(三界)を対象としてとらえ…