さっき、飼っているメダカを見ると、一匹死んでしまっていた。
水草のすきまにはさまっていて、死後幾日かすぎており、
体が溶けているようだった。
これが無常であると教えてくれたのだと思うべきだし、
かわいそうだとも思った。
だが、そのすぐあと、昨日の夕飯のししゃも二尾を食べるのが、自分である。
めだか、かわいい、と思い、死んだらかわいそうだと思うのも自分。
そして、それらの同類を無限に食べ続けなければ生きられぬのが自分。
根源的な矛盾を抱えた存在が自分。
自分とはなんぞや、その答えを聞きに今日もお寺へ行く。
お寺とは仏法を通して、自分とはなんぞやの答えを尋ねる、
聞法道場のことです。