苦しいというと、自分が思い煩う、ことのような気がするが、
仏教での意味は、「思い通りにいかない」、ということだそうだ。
では、自分の望みが思い通りにいけば、それで満足するのだろうか?
たぶん、それらがかなっても本当に満たしてくれるものは、ないのだろう。
では、どこに満たしてくれるものがあるのだろうか?
自分は、それを「安楽」「安寧」「安心」と味わっている。
思い通りにいかないこと、無常のことを、火宅無常の世界と聞かせていただく。
「安楽」を得た今生は良い人生だった、そう云える今生はとても
有難いものだなと思うのである。