ああ夢幻にして真にあらず、寿夭にして保ちがたし。
呼吸の頃に、すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いつれば、
万劫にも復せず。この時悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまわん。
願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を胎すことなかれ。
よくぞ今までいのちを保って頂いたことだと思う。
何一つ自分の力で生きているのではなく、全く一切が
恵まれて施されていると味わう。不思議なことだ。
人と生まれて、出世の本懐を果たす。
本当に自分の魂が求めているもの、渇望しているものは何か。
むなしさと寂しさを、抱えながらも生きなければならない理由は何か。
汝好くこの語を持て。この語を持てというは、すなわちこれ
無量寿仏の御名を持てとなり(観無量寿経 真宗聖典 大谷派p122)
専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ(教行信証 序 真宗聖典 大谷派p149)
自分の姿を凝視せざるを得ない時、何一つ間に合わない。
その時、ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべし。
その意味場における、ただ念佛。
ただは、唯であり、只であり、ただ、だと味わいます。