不思議なご縁で、それまで、全然会った事も話したこともなかった方と
聞法させて頂く機縁に恵まれている。
人との出遇いも不思議だ。
これまで、自分のこころは、相当内向きだった。自分の殻に閉じこもっていた、
というか、人と関わるのが怖かった、傷つくのが怖かった、のかもしれない。
でも、今は、人の話を聞き、たとえ、互いに全然分かり合えなくても、
わかったような気になる、分かり合えたような気がする、というだけで、
十分のような、そんな気がしてきた。
また、人とぶつかって、時には怪我をして、痛みを感じてもよい。
そうしないとわからないことも沢山あるはずだから。
でも、たとえ傷ついても、時間がそれを癒してくれる、こともある。
悲しきかな、痛みや記憶も無常、永続的ではない。
だから、恐れなくていい。
僕らは「無常」をどうしても、いやな意味に捉えてしまう。
でもね。
本当はね、
移り変わること、そのものを無常というのであって、
それは、自分にとって、都合が悪いことだけではなくて、
都合が良いように転じていくことも、無常というんだよ、
そう先生から聞かせて頂いたことが、胸に残っている。
この先生からお話を聞く機会は少ないが、不思議と耳に残る、
言葉を頂くことが多い、そんな気がしている。
良いように変わっていくこと、それも無常と言うんだよ。
人は人によって傷つけられもするが、人によって、癒され、
励まされ、元気付けられもする。
どうせなら、あの人との出遇いはよい出遇いだった。
そういってもらえるひとに自分もなりたい、そう思っている。