信心とは、仏性であると教わる。
本願の名号の因、光明の縁が和合円熟し、
仏性が備わると味わう。
信後の命がある意味は、すなわち、一人でも多くの人と縁を持つ、
ということなのではないか、と思った。
今生の縁が尽きると、浄土に往生し、仏に成れば、一切を見聞することができる。
過去も、現在も、未来も一切を。
今、ご縁があって、挨拶をしたり、すれちがったりした些細なことも
一切が分かるはずだ。
そして、浄土へ往生したならば、
浄土の慈悲をもって、まず有縁の人から度すべし、と教わる。
少しでも、わが身を通して、
ご縁を結んで頂ければ、必ず、自分が本願とのご縁を取り持つことが
できるはずだ。たとえ今生では、全く無力であっても。
そして、必ず御同朋御同行、共に拝みあう世界へ開入できるはずだ。
自分にもまだやるべき仕事がある。
娑婆の縁が尽きるまで、念仏と共に歩む。
どうぞ、一声でもお念仏を申してください。