写真には、背景がある。
物事にも背景がある。背景とは、動機であり、原因を指す。
大地がある。
空がある。
必ずそれを存在たらしめているもの、支えているものがあって、
自分が在る。
自分が在って、大地があるのではなく、先に大地がある。
自分はずっと、自分が在って、大地があると思っていたが、
事実はそうではないらしい。
事実は、自分の願いを超えて、事実として実在している。
人間の肉眼の視覚では、ウィルスさえ見えない。
空気も見えない。時間も見えない。
まず、自分の心が存在し、生き物にも動かしめている感覚があるはず。
でも、それは目には見えない。
見えるのは、物質の世界で、それは一部に過ぎない、と自分は思う。
人間がすべてを理解し、克服できるほど、事実は甘くない。厳粛なものだ。
厳然として、動かない事実の中に自分の存在がある、ということを
自覚させられる。
事実を、身を以って、体験させられるのが、本当の仏教だと頂く。