過去、現在、未来。
過去があって、現在があるし、
現在があって、未来がある。
これが普通の考えだと思う。
でも、浄土真宗では、「今」しかない、と聞かせて頂きます。
あなたは、今に満足してますか?
僕はずっとできなかった。むなしかったし、生きている意味も分からなかった。
だから、勉強といっても、何のためにするのかも分からないし、
分からないから自発的に、何かをしようという意欲もなかった。
自分のことにしか興味がなかった。
でも、幸い、今に満足させて頂いています。それまでの自分の在り方は、
根本的に間違っていたと思うのです。
住岡夜晃という先生の言葉を拝見しました。
念佛したらどうなるんですか?何の意味があるんですか?
「知らん」
念佛の目的は念佛。
念佛申し生きることが、本願に相応した姿だ。
僕は先生の「知らん」にすごく惹かれました。
今に満足してますか?
周りに満足している人はいますか?
お互い、今に満足できれば、それだけでよいと思います。
事実は一切の物事を先行している。
本願と共に。南無阿弥陀仏
16/06/15追記
念佛に出遇うということを、自分自身で表現するとしたら、
それは、やはり「目的と手段が一つになる」、あるいは、
「精神において、ある一点が決定し、自分が立ち還る場所が
成立する、そして、念佛がそこに還れと呼んで下さる」という
ことのように思います。
わたしには決定がない。だから不安であり、何かを掴みたい、
どちらかを選ばなければならない、という心が起こる。
如来の智慧は、どちらでもかまわない。汝の心の赴くままに
歩め。この弥陀が居る。
如来は決定している。