むなしさとともに

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許されていたということ

本願に出遇うということは、すでに許されていたのだと知ること。

 

本願に呼び掛けられているということは、すでに許されているということ。

 

出遇うということを通して、初めて、自分において、

 

本願が届くということ。

 

聞こえた、ということ。

 

聞即信。

 

聞こえたのは、念佛の声が聞こえたということ。

 

念佛の声とは、念佛に込められたまごころのこと。

 

許されているということは、受け止められていたということ。

 

受け止められていたということを知ることによって、初めて、

帰りどころができたということ。帰依処。畢竟依。

 

これを浄土といい、如来といい、信心といい、念佛といい、

本願の名号といい、本願という。

 

帰りどころがあって、初めて出ることができる。

 

そして、また還ることができる。

 

受け止められるということは、大地に樹ったということ。

 

そして、大地ははかりなき命と光によって建立されている、無量光明土である。

 

往生が始まった。そして、往生は必ず遂げられる。

薄紙一枚を残したまま。そして、薄紙は必ず破れる。無常であるが故に。

 

自分の思いは関係がない。ただ本願を仰ぎ、ただ念佛す。

 

本願とともに。なむあみだぶつ。