むなしさとともに

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聴聞の根本動機

和田先生は仰った。

 

何のために佛法を聞いているのか?根本動機は何や?何を求めているのか?

 

本当に生死出づべき道を求めているのか?

 

僕は本当にただ自分が自分でありたいだけだと思う。そのほかに何もない。

 

そして、自分は、機能的にしか一切を認識できない。

 

そんな目で見ないでくれ。にんげんとして僕をみてくれ。

 

本当はこう思っている。しかし、一切を見る僕のまなこは、すでに

 

機能的な見方でがんじがらめになっていて、思うよりも、気がつくよりも

 

先に、他人をそういう目で見ている。

 

寂しい。助けてくれ。これが本当に自分の心の奥底で叫んでいる言葉のように思う。

 

孤独という地獄を抱えている、というのは、どうしても他人も自分も受け止めることが

できないことかもしれない。

 

しかし、そういう目で見ないでくれ、といいつつ、そういう目でしか見れない。

 

これは悪性、自分自体が悪性に染まってしまっていて、どうしても拭い去ることが

できない。やめることができない。

 

これを極重悪人というのだと思う。これは他に用いる言葉ではない。

自分の自覚のみに用いる言葉である。

 

極重悪人唯称弥陀。

 

本当に苦しい、悲しいときは念佛も間に合わない。それでも、

仰せは絶えず喚び続け、響き続けている。今はただ仰せを仰ぐばかり。

 

本願とともに。南無阿弥陀