むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

三帰依文を確かめていく① 追記あり

人身受け難し、いますでに受く。

仏法聞き難し、いますでに聞く。


この身今生において度せずんば、

さらにいずれの生においてかこの身を度せん。

大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。

自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して、

無上意を発さん。


自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、

智慧海のごとくならん。


自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、

一切無碍ならん。

無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し。

我いま見聞し受持することを得たり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん。

 

いつも唱和している三帰依文です。これからこの言葉を確かめていきたいと思います。

 

受け難い人の身を今受けている。

本当に聞き難い佛法を今すでに聞いている。

この身、今生において決着をつけなければ、もう迷いを出ることはない。

 

みなもろともに本当のいのちの要求に目覚めてほしい。

 

一切のいきとしいけるものとともに、本当に帰るべき世界、

平等なる世界に生きていきたい。終わりなき歩みをともに歩んでいきたい。

 

差別や偏見、賢愚美醜、貧富、一切の妨げを超えて今わたしを貫く、本願の名号。

 

本願とともに。南無阿弥陀

 

17.11.16追記

 

多くのアクセスを頂いているので、追記いたします。

 

佛法とは、わたしの願いを聞いてもらうのではなくて、

 

如来の本願、すなわち如来の願いをわたしが聞きうけることでした。

 

わが名を称えてほしい、ということは、必要としてほしい、ということでしょう。

 

如来が私に対して、自分を必要としてほしい、というよびかけに

 

呼応する。それが聞其名号信心歓喜乃至一念であります。

 

如来の声が聞こえる。貫く。それが信の一念でありましょう。

 

一声の念佛で決着がつくまで仕上げられた。それが行の一念でありましょう。

 

今はただ、如来の本願を聞くばかりで十分なのであります。

 

 

 

2019.09.15追記

 

往生は始まりがあり、

 

必ず遂げられる性質がある。

 

往生こそが人間にとっての究極的な

 

救いでありましょう。

 

完成しないまま完成している。

 

求め続けていく、このこと自体が

 

完成している。なぜか。

 

如来から至り届いている道だからである。

 

小さな声で、繰り返し、お念佛を称え、

 

耳に聞く。繰り返しの中で教化されて

 

いく。信心が信心自身を明らかに

 

していく。こういうことが念佛往生の

 

中身のように感じています。

 

 

 

2020.01.03追記

 

共に助けられる。

 

共に大悲されている。

 

煩悩を、現実をどうすることもできない

 

悲しみがあるけれど、

 

だからこそ、汝念佛すべし、という

 

大悲がまします。

 

独りよがりの心境がなんでしょうか。

 

そんなものは酔っ払いに等しい。

 

 

酔いは冷めるもの、

 

冷めたあとは興ざめ。むなしさが残る。

 

だから、信が起こっていないものを

 

まだまだだとか、言って自己満足せざる

 

を得ない。

 

独りよがりでむなしくないかいと、

 

言う人を軽蔑し、遠ざかる。

 

耳障りが悪いから。

 

他人に触られたくないのだ。

 

 

こういうことを失という。

 

実につまらないものだ。しかし、

 

僕にも経験があり、よく分かる。

 

 

これが2年くらいあったか。

 

今は思う。まことのことを言って下さる

 

方はやはり善知識であると。

 

 

人として、人を人と見出そうと足掻く。

 

このことが、僕を人にして

 

下さるのでしょう。できる、できない

 

じゃない。やるか、やらないか。

 

これだけである。

 

 

生まれながらに貴賎はない。

 

行為によって貴くもなり、

 

賎しくもなる。釈尊はこう仰っている。

 

ブッダのことば  岩波文庫p36  142 )

 

 諸々の衆生とともに。

 

全てのあまねく一切衆生の生存が

 

終わることを、苦しみが終わることを。

 

悲しみが尽き果てることを祈る。

 

祈りつつ行じていく。

 

念佛の行者とはこういう者だと

 

思うのであります。

 

決して自分の救いだけに留まらない。

 

広がりと深まりが信にはあるはずです。