むなしさとともに

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本願に出遇うまで①

ある方のブログに、ご自分の歩みを振り返られる内容のものがあった。

示唆を受けたような気がして、少し振り返ってみようと思う。

 

あくまでもどこにでもいる平凡な男がくだらない過去を振り返ったものに

すぎない。また自分の経験が誰かの役に立つということはない。あくまでも

主観的な経験に過ぎないのだから。法の真実は普遍であっても。

 

1.幼い頃

 

物心ついた頃から、何かが足りないと思っていた。

それは、自分にとって決定的な何かではあったが、それが何か皆目

検討がつかなかった。

 

この感覚は、パズルがほとんど完成しかかっているのに、

どこを探しても、最後のピースが見つからないような、埋まらない感覚で

あった、と思う。むなしい、という感覚の根源のように思う。

 

 

自分はずっと泣き虫で、よく近所の同級生にもいじめられた。

ある日、気がついたら、目立つほど髪の毛をむしり、はげてしまった

ことが2度ある。参観日と友達の家に遊びに行っていたときだったろうか。

 

どうしてこんなところにいるのだろうか?何をしているのだろうか?

ひょっとしたらそんな風に思っていたのかもしれないが、今はわからない。

誰にも、どこにもぶつけられない思いが、自傷的な行動に現れたのかも

しれない。

 

いじめられる。無気力である。何をしたらよいかわからない。

何をしたいかもわからない。好きなことがほとんどない。

夢もない。主体性がない。

ただRPGのゲームが好きで、ずっとしていた。

 

『どっちでもいい』こういう子どもだったし、それは今も変わらない。

 

衝撃的なことがあった。小学校3年生の頃だっと思う。

 

飼っていたメスの小鳥が、蛇に喰われてしまった。

 

大事にしていた白いつがいの小鳥。メスはもう蛇に飲み込まれてしまい、

蛇の体は大きく膨らんでしまっていた。輪郭が分かるほどに。

 

くちばしの赤い小鳥。とてもかわいらしかった。好きだった。

 

膨らみを見て、蛇に対して、強い憎しみが湧いた。

そして、とても悲しかった。

 

今思うと、蛇には蛇の事情があったのだと思う。腹をすかしていたのだろう。

彼は何も食べていなかったのかもしれない。

 

しかし、休日に日光浴している大事な小鳥を食べられてしまった。

憤りを感じた。どうして食べられてしまったのだろう、と。

なぜなのか、と。

 

今思うと、小鳥も蛇も菩薩様だったのかもしれない。

 

弱肉強食。無常の相を如実に顕していた。

 

諸行無常を身をもって感じた、初めての経験だったと思う。