むなしさとともに

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メリトクラシーに抗う

一切を貨幣的、機能的にしか認識、観察できない。

『それ』としか見ることができない。

これをメリトクラシーと聞かせて頂く。

 

これに染まってしまった自分が

どれだけ他人を傷つけ、生き物を傷つけ、弄んできたか。

 

そして、今も止むことがない。それが自分だから。

 

しかし、それが誤った認識であることを少しずつ知らされる。

そこにいくばくかの痛みを感じては、すぐに忘れの繰り返し。

 

自分は全く無力な一人の人間にしか過ぎない。

 

しかし、メリトクラシーというものに、身がつぶされても、心まで

つぶされるわけにはいかない。

 

自分に何ができるだろうか?きっと何もできないのだろう。

ただ念佛を聞き、本願の心をどこまでも尋ねていく。

そこに自ずからしからしむる如来のはたらきがあらわれてくるのだろう。

 

春の息吹。少しずつ感じられる。桜のつぼみもふくらみつつある。

寒いけれど、光の気配を感じる。

 

再開していこうと思います。またどうぞ宜しくお願いします。

 

ただ仏語を信じ、決定して行に依る(愚禿鈔