弥陀佛は自然のやうをしらせんりょうなり(末灯抄)
いろもなく、かたちもない、言葉尽き果てた無上佛。
そのお心は、すべてのいきとしいけるものを、すべてもらさず、
立派にしてやりたい、という大悲。
無上佛を法性のまことと藤谷秀道先生は仰った。
弥陀佛から無上佛を見出す。無上佛のお心を弥陀佛を通していただく。
二つは一つで、一つは二つ。決して離れない。
念佛往生は法蔵比丘の悲願。わたしの悲願ではない。
如来の悲願は必ず遂げられる。弥陀如来は衆生の往生が定まった姿と
聞いている。大悲が我執を貫いたとき、本当の生が始まる。
念佛は弥陀如来が更にわたしの声とまで成ってくださった。
その一声が如来の呼び声である。この一声が大悲である。
ただ念佛の声、念佛の仰せを聞く。
念佛の仰せはたすけずんばおかんの仰せ。
僕は化土往生で十分です。大悲をもって拵えてくださったのなら、
化土だろうが、報土だろうが、どっちでもよいのです。
今ともにいる如来にもう救いを求めることはない。
ただともにいてくれるだけでなにもいらない。
心は常に渇いていても、願力は無窮、心配するな、の仰せ。
南無阿弥陀佛