即横超截五悪趣と云う言葉が気になります。
何気なく読んでいた正信念佛偈のご文でしたが、このお言葉は
ただごとではない。
横超が浄土真宗、他力念佛の本意。
悪趣自然閉、閉塞諸悪道 通達善趣門。
われらが流転するのは、三毒の煩悩が原因ではない。
無明住地によって、流転している。
即横超截五悪趣の断絶する対象は一体何か?これが気になっています。
無明住地という衆生流転の根本原因を断つことができるのは、
これを確かめていきたい。
なぜなら、誰かの問題ではなくて、自分自身の現在の問題だから。
仏法とは、存在全体を通して、ひたすら聞いていくもの、如来に
尋ねていくものだと体解する。
自分には自分の後生の一大事が、あなたにはあなたいちにんの一大事がある。
それは誰にも代わる事ができない、厳粛な存在の問題である。
梯先生は、このいのちは、他のだれも生きることができないいのちであると
仰っていた。そのとおりだと思う。
悲しいけれど、われらの命には限りがある。
限りある命を本当に生かすためには、如来に
出遇うしかないと思う。なぜなら、如来以外の一切は、
存在の大地とはならないからである。如来のみが常住であり、
南無阿弥陀佛