もし、十方の生きとしいける者が、たった十声なりとも、
わたしの名を称えて、わが浄土へ生まれることがないようならば、
この法蔵は決して如来には成らない。
たった十声なりとも、わが名を称えた者を、決して見捨てない。
必ずわが浄土へ往生させる。
称えたらたすかるのではない。
わが名を称えるばかりで助けるという、如来の大悲を頂くばかりである。
ただ念佛して弥陀にたすけられましょうぞ、というよきひとの仰せをそのまま
頂いている、これを信心という。
わが身わが心に付随する一切で浄土に往生すること、あることなし。
親鸞聖人の仰せをただ頂くばかりである。たとえ常に煩悩に沈没していても、
お念佛を申すことができる。こんな不思議なことはないと思う。
南無阿弥陀佛