いくら聞いても、いくら善行を行っても、何にも変わらない。
どうしても煩悩が雑ざる。そもそも善行かどうかを決める主体は自分であり、
善行である根拠がない。何も分からないではないか。
世間のことは自分で何とかせねばならないが、わが後生に関して、
わが力一切及ばず。どうすればいい?
構わない、汝わが名を称えよ。すべて知っている。
これが無碍光であり、徹照すると親鸞聖人は慶んでおられる(弥陀如来名号徳)
すでに想定済みである。その御心が五劫思惟の相をとっておられる。
佛智疑惑の者よ。そのまま貫く。何も問題ない。
わが名を称えるばかりで必ず往生させる。
必ず助けるの御心が若不生者不取正覚であり、兆歳永劫の相である。
わが本願の力無窮なり。そのままなりで助ける。
本願の御心を告げ知らせるのが念佛の相であります。
どうしても我らを往生させたいのが本願の御心でありました。
南無阿弥陀佛