むなしさとともに

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聞と行

不思議なご縁で新年を迎えることができました。有難うございます。

 

本当は一日一日がかけがえのない大切な一日に違いないけれど、

どうしても年末年始は少し特別な感を抱いてしまいます。

 

今年の自分の課題は「聞」「行」であります。

 

聞とは、ひたすら聞く。念佛を聞く。念佛のいわれを聞く。大悲を聞く。

善知識、同行の方との縁を大切にすることを含んだ聞であります。

 

行とは、真実信心というものがまことに届いたならば、そこに何らかの相が

生まれなければならないと感じています。もしも、そこに何もなければ、

それは死んだ信でありましょう。信とは躍動であり、活動の源であります。

 

相とは形、すなわち行であります。

 

念佛を聞く、聞名の一行が核であることには間違いない。しかし、

そこを起点基軸として、連続無窮に新たなものが創出されていかねばそれは

真実信心ではないと思われます。

 

その相とは、特別なことをするのではない。目の前の人に向き合う。

分からなくても話を最後まで聞く。自分にできることに関わる。

 

それを継続持続させる。諦めない。腐らない。逃げない。受け止める。

 

社会生活、人生において、当たり前のことだろうと思いますが、

この当たり前のことを支えるには信が必要であります。

 

揺ぎ無い信とは如来の信、念佛往生を信じる信心であります。

願力より発起回向された如来より賜りたる信であります。

 

今年一年のテーマとして、自分はこの二つを手がかりにやっていこうと思います。

 

佛法とは特殊なものではありません。眼前直下、ごく当たり前のことであります。

 

どうぞ今年も共に聴聞させて頂きたく存じます。

 

南無阿弥陀