なんぢよくこの語を持て。
この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり。
持て(たもて)ということは、称え続け、聞き続け、一期を貫けの仰せ。
善知識や菩薩方の教えも有難い。
釈して下さらねば、御心が分からないから。
しかし、如来と菩薩は境界を異にする。佛佛相念、唯佛独明了。
涅槃は佛しか分からないのである。
最終的に、親鸞聖人も、
ただ仏語を信じ決定して行に依ると仰る(愚禿鈔)
即ち、このこと一つをたもての仰せ。
親鸞聖人は僕自身のわが身に先立って、現実を、煩悩を恐れるなと
ご自身の身とご生涯を以って念佛往生を示して下さった。
本当に信頼に足る方だと身に沁みて思う。
無知無能煩悩具足我執無明の者よ、極重悪人よ。
ただ無量寿佛の御名を称えよが、三世十方諸佛の仰せ。
佛説とは如来のお言葉である。
それは三世十方微塵世界を貫く大悲の智慧である。無常を超えたおはたらきである。
仰せに従う、ただそれだけでである。
南無阿弥陀佛