さるべき業縁のもよおさばいかなるふるまいもすべし(歎異抄)
法治国家である以上、国が定めた一定の規範の中で、
自由を享受し、義務を果たさねばならない。
また規範を逸脱する行為には社会的法的制裁が課せられる。
彼は確かに弱いのかもしれない。酒に依存し、社会的成功も
たのんでいたのだろう。酒に溺れるのも渇愛のもよおしであろう。
親鸞聖人は仰った。自分も何をしてしまうかわからない者です、と。
自分に引き当てるとき、確実に魔がさすような弱さや脆さを
抱えていて、たまたま今まで明らかに露呈せずに法の裁きに
合わなかっただけではないか、と思う。
法を聴聞する所詮は、見が変わっていく、それに伴って、
相が変わることであろう。
自分が間違いなく凡夫であると明らかになったとき、
初めて他者ばかり責めていた心が止むようになっていく。
見は邪見から正見へ、相は凡夫から菩薩へ、そしてまた凡夫へ。
この後者の凡夫は八地以上の菩薩を表す(無功徳無作無為自然の意味)
世間に偏りが見られる。凡夫の見解は常見と断見だと
仰る。教えに耳を傾けざるを得ないのは、いいとか悪いとかでなく、
聞かねばならない念佛せざるを得ない問題、すなわち
煩悩具足罪悪生死火宅無常生死流転を抱えている自身だからこそ
流転を超える、横超する本願を聞かねばならない。
流転しないもの、すなわち流転の自覚なきものには
必要ないものでありましょう。しかし、老病死はすでにインプットされている。
南無阿弥陀佛