ここは娑婆ともいい、欲界とも言うと、聞いている。
生まれる、食べる、死ぬ、また
生まれる。食物連鎖、弱肉強食、
こういう有様に対して、自分は、
あまりに無力であり、無知であると思いしらされる。
如くならん、という響きが気になる。
知らなければならないし、見聞しなければと思う。
観察、止観から動があらわれると
思う。何故なら、願の前に苦悩の有情があり、
願から智慧、光明があらわれていると思うのである。
欲という衝動が有情の行動原理であり、
自分自身がそれに埋没している。
浅ましく悲しいことである。
しかし、また念佛に帰る。
迷いの身に大悲が智慧の相を選びとって、名号としてはたらいてくださる。
南無阿弥陀佛