信心は分別に染まらない。
信心は如来より発起せしめられる。
信心は信知、知らしめて下さる。
それは何か。決して助からぬこと、
だからこそ本願によって念佛往生せしめられること。
信心は一心であり、開けば三心と言われる。
深心決定心相続心。
一心は如来の憶念心、すなわち無限大悲心。
無限大悲が敢えて相を顕して喚んで下さる。
それが今口に称え耳に聞こえて下さる南無阿弥陀佛の
お念佛だったとは知らなかった。
如来如去、如よりわれらのためにかたちを示して下さって、
われらをいだいて如へ至らしめて下さる。
もはや言葉は尽き果ててただ称えよの仰せを聞くばかり。
助かるとか助からぬとか、信心があるとかないとか、
そういうことは用事がない。
ただ助ける、助けさせてくれよの仰せを聞くばかりで、
僕の信心なんぞ微塵もいらぬのです。
他力というは如来の本願力なり。
本願力で助からぬわれら、必ず平等に真実報土へ往生せしめられるなり。
それを告げ知らせて下さるのがお念佛であると
聞かせて頂くばかり。
南無阿弥陀佛