進むを知りて退くを守るを「智」といふ。
このところ、停滞というか沈滞というか、
ことばを探しているような気がします。
不退転という言葉を聞くと、一直線にまっすぐ進むような気がしました。
しかし、本当の不退転とはこのように思っています。
何度も立ち止まる。迷い、傷つき、傷つけながらも、なお
また歩き出す。何度も立ち止まって、涙を流したり、煩悩に引きずられ
つつ、また一歩一歩歩いていく。
これが知進守退、真の不退転の相ではないかと。
煩悩を滅することはできない。悪業もやめることができない。
だからこそ如来はありったけの大悲をかけて憶念して下さる。
念佛は如来の行である。自分は念佛聞かしめられるばかり。
これで良いのである。
南無阿弥陀佛