むなしさとともに

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本願ぼこりについて

浄土真宗における信心とは、

 

二種深信である。

 

機の深信、法の深信。

 

自身、わたくしは決してタスカラヌ存在で

 

あり、ずっと流転し続けてきたし、今も

 

娑婆に縛られている。悪業を根本的に

 

止める力が欠如していると知らしめられる。

 

善導大師のお言葉は、ここでは略す。

 

だからこそ、わが本願の力で

 

タスカラヌ存在を往生せしめる、わが名を

 

称えよの仰せに帰命する。

 

この二つは全く矛盾しない一つのできごと

 

である。

 

本願ぼこりとは、機の深信が欠けている。

 

造悪無碍の立場でありましょう。

 

言い逃れできぬほど、我が身を照らし

 

い出されたならば、地獄一定、

 

三悪道こそがわが故郷であります。それは

 

哲学、道徳では及ばない人間であることの

 

悲しみであります。人間であることは

 

痛ましく、とても恥ずかしいことであるが、

 

それを忘れて流転している。

 

本願ぼこりのタスカラヌわたくしを

 

かたじけなくも必ず助けずばおかないと

 

大悲くださる念佛のたのもしさよ。

 

本願ぼこりのまま念佛に帰らせて

 

頂きます。ありがとうございました。

 

南無阿弥陀