極重悪人唯称佛(正信念佛偈)
自分自身は決して助からぬ存在であり、
無有出離之縁と釘を打たれている。
だからと言って、自分だけの救いに留まる
ことはできない。そんなものが何になる。
見よ。この悲惨で悲しみと嘆きと疲労と
空虚と差別と崩壊に満ちた眼前を。足元を。
何処にも助かった者がいないではないか。
念佛を頂いた者は信心を具体的現実に
表現し相を現し続ける責任がある。
相を現さなければ、浄土を如来を証する
ことができない、即ち衆生に届かないからだ。
どんなに些細なことでもいい。
空き缶を拾う。柔らかいことばをつかう。
耐え忍ぶ。学ぶ。試す。機縁の整った者には
専ら念佛を勧め、自身も専ら行ずる。
善知識に教えを請う。
これが具体的相の一欠片である。今自身が
試している現実である。
凡夫から逃げない。正面から立ち向かう。
悲しみを悲しみで終わらせない。
いのちを、煩悩をあとずさりなく、
燃やし尽くす。これが現世利益である。
課題を、問を生き続ける、途中で生き倒れて
も微塵の差し障りあることなし。
何も問題ない。今すでに往生の中にある。
往生は始りがあったならば、
必ず遂げられる。必至滅度。
南無阿弥陀佛