何というか、宗教的であろうとする、と
いうよりは、ただの一個の個体というか、
自身というか、そういう処、自分の居り場、
足元に帰る、足元を丁寧に掘り下げていく
作業をしたい、そんな気がする。
信者ではなく、ただのひと。
ただのどこにでもいる、だれからも
見向きされないすれ違うひと。
それが自分であろう、と。
全然読めてない本がある。全然知らない
世界があり、ひとがいる。不思議なこと、
悲しくても何もできないこと、立ち尽くす
ほかないこと。そういうことを、たとえ、
如実知見できなくても、観る努力をしたい。
そんなふうに思う。たとえこの眼が屈折
した認識しかできなくても、それを言い訳に
して傍観することには幾ばくの違和感が
ある。ほんの少しだけ。立派なことはできない。
ひっそり在る名無し草のように。ひっそりと
一隅を照らす、そんなふうになりたい。
この草は煩悩の大地に根を下ろす。
南無阿弥陀佛