むなしさとともに

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共に苦悩するよ

助かるとは、一体どういうことか。

 

即ち、雑行を棄てて本願に帰すということは

 

如何なることか。

 

安田理深先生の言葉があった。

 

 

その自覚で苦悩から助かるという意味でなしに、本当に苦悩できるという意味で助かるのではないか。

 

苦悩がなくなって助かるのではないと思う。永遠に苦悩に埋没しようと、こういう心を発見することによって助かる。こういう意味ではないかと思う。

 

(安田理深先生;因位の願心p140)

 

歓喜も素晴らしいが、やはり、煩悩の

 

習気がある。それは極めて個人的であり、

 

心境に過ぎず、深さがない。

 

一切衆生が往生せずばわれもまた佛に成らじ。

 

こういう御心が深いのであり、底も果ても際もない。

 

あなたが迷うなら僕も一緒に迷います。

一緒に流転しましょう。何時までも。大丈夫です。如来は何時も僕らとともにまします。

 

流転を怖がらなくていい。

 

二十ニ願で、僕の流転する自由を如来

 

保証してくれている。

 

大事な人のもとに往きなさい。

何時でも待っているからまた此処に帰って

来なさいと。

 

僕はもう助からなくていい。

それが当たり前だから。

 

地獄に誰一人いなくなるまでずっと居たらいいと思う。

 

南無阿弥陀