むなしさとともに

一切の悲しみが尽き果てるまで、共に歩む twitter(@oujouwogosuru)

むなしさを大切にしたい

そのむなしさを信頼しなさい。


かつて、和田綢先生が仰った言葉と

聞いている。


振り返ると、物心がついたのは、おそらく、

四歳くらい。幼稚園の記憶。

同じクラスの子たちは淡々と折り紙を折っていた。

でも、僕は全然折れなかったし、折り方を覚える

こともできなかった。

これは今だからわかるのだが、折り紙を折る行為

そのものの意味が全くわからなかったから、

折ろうとする意欲が湧かなかったのである。

その後の学校生活も基本的には同じで、

試験に落ちた悔しさを動機に学習に向かう。

須らくずっとそうだった。屈折した子どもだったの

だろう。
  
でも、僕にはそういう屈折した進み方しか道が

なかった。その途中で、たくさん人を傷つけて

しまった。ごめんなさいと言わなければならない

人がたくさんいる。数多のいのちを貪り、

踏みにじって今を生きていて、人の身を

受けている。このこと、すなわち、生存は

苦であると、僕の根本に突き刺さっている。

この棘は身が終わるまでは、決して抜けないのだ

ろう。


こういうことを客観的に考えることになったのが、

ちょうど四年余り前で、そこから、

このブログを書いている。

原稿はなく、そのときに去来したものを

言葉にしているだけである。


今も、むなしさを引きずっているし、

時々無性に悲しくなる。ただし、今は、それを

大切にして一歩一歩向かい合いたいと思う。


そのむなしさを信頼しなさい。

まことに金言である。生きた先生にお会い

したかったことである。むなしさは如来との

深いご縁だったと感じている。


南無阿弥陀