盲導犬のすがた。
完全な菩薩のすがたがあった。
寄り添い、導き、自己を滅して、
目に成り切っている。
尊いすがたに涙が出そうになる。
あのような行がいつか出来るだろうか。
この身では叶わないだろうが、諦めはしない。
究求したい。
菩薩とは菩薩行のことである。
菩薩行を見いだせるかどうかは、ひとえに見る
主体の問題であります。
もしも信心決定したというならば、何らかの
具体的なすがたが現実に顕ねばならないと思う。
仏法は厳しいものであります。
心境に停滞することを、
声聞、縁覚と嫌うのであります。
南無阿弥陀佛