むなしさとともに

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忍耐、薫習、純熟

この1年は改めて、忍耐を学んだ時間でした。

六波羅蜜の中で、忍辱とも言われ、

基本的な在り方とされますが、これは

骨が折れることを身に沁みて感じたので

あります。そして、今も試されているというか、

ただ中にあるというか。

特に人を育てるということにおいて、

忍耐は必須だと思います。

ものすごくしんどい、まして、自分が望んだ

訳ではなく、巡り合わせで、自分の元へやって

きたことであれば、投げ出したくもなる。


そこで、大切なことは、先生のすがたであり、

教えに帰るということだと実感する。

即ち念佛を申す、この行いに立ち返る。


念佛の中から六波羅蜜が出てきて下さり、

自分を教化くださる。

念佛の薫りを繰り返し巻き返し蒙る。

このことを繰り返すうちに、自然と身に

薫習してくださる。

いつの間にか耐え忍んでいたことを忘れる。

もう一度、やってみる、

違う角度から試してみる、という展開になる。

これは自分の中から起こることではないが、

自分に起こることである。

忍耐の根源には南無阿弥陀佛がまします。

こういうことを確かめていかなければ

仏法は死んだものに転落すると思う。

仏法はぴちぴちと躍動する大悲である。


あなたにとって、

経典のことばは生きていますか?


おそらく、念佛の薫りを身に浴びておられる

方に出遇うか否かが、人間の道を決する

分岐点だと思われます。その人を見つけられるか

どうかは一人一人の問題。その人が居ても

見出す眼がなければいないのと等しい。


時が熟したとき、見えるのであります。

ここに、ひとがいる、と。

このひとのようになりたい、と。

或いは、このひとは何か深いものを

求めているひとだと、すがたが語りかけてくる。


南無阿弥陀