いつも善悪で迷っている。
どうすればいいのだろうか、と。
しかし、誰にとっての善悪か。
それを計るのは誰か。
自我、自分に真の智慧なし。
故に総じてもって存知せざるなり、と仰る。
時と場合、状況、心境によって自我の物差しは
変わる。自身を守るために。
誠とは、時と場所、衆生を選ばずに、あまねく
一切を貫く道理であり、それを法という。
一切衆生をえらばずきらわずへだてずばかにせず、
共に涙を流し、どしゃ降りの日も共に雨に
ことを摂受正法という。
如来への帰依を顕現させるはたらきを信心という。
どうしても信心が顕現しないものに信心まで
与えることを回向という。南無阿弥陀佛という。
実とは隙間なく間断なく大悲が垂直に降り注がれて
いることをいう。
我に道なし。専ら念佛の道に託すばかり。
もはやあらゆる自分の世間道は絶え果てた。
ずっとこの道を探していたんだ。
やっと出遇うべきものに巡り合うことができた。
帰るべき処が見つかった。念佛に何度でも帰る。
このことが肝要なのであります。
善悪だけで押さえられるほど、人間は
単純じゃない。
南無阿弥陀佛