むなしさとともに

一切の悲しみが尽き果てるまで、共に歩む twitter(@oujouwogosuru)

善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり

いつも善悪で迷っている。

どうすればいいのだろうか、と。

しかし、誰にとっての善悪か。

それを計るのは誰か。

自我、自分に真の智慧なし。

故に総じてもって存知せざるなり、と仰る。

時と場合、状況、心境によって自我の物差しは

変わる。自身を守るために。

誠とは、時と場所、衆生を選ばずに、あまねく

一切を貫く道理であり、それを法という。

浄土真宗の法を、阿弥陀佛の本願という。


一切衆生をえらばずきらわずへだてずばかにせず、

共に涙を流し、どしゃ降りの日も共に雨に

打たれて下さる方を如来という。如来に帰依する

ことを摂受正法という。

如来への帰依を顕現させるはたらきを信心という。

どうしても信心が顕現しないものに信心まで

与えることを回向という。南無阿弥陀佛という。

実とは隙間なく間断なく大悲が垂直に降り注がれて

いることをいう。

我に道なし。専ら念佛の道に託すばかり。

もはやあらゆる自分の世間道は絶え果てた。

ずっとこの道を探していたんだ。

やっと出遇うべきものに巡り合うことができた。

帰るべき処が見つかった。念佛に何度でも帰る。

このことが肝要なのであります。

善悪だけで押さえられるほど、人間は

単純じゃない。

南無阿弥陀