これが自分の願いであります。
ずっと見失っていた願い。
埋もれていた願い。
むなしさは願いを見失っている証。
願いを持って、諸人と、衆生と共に生きる。
心をすがたに現す。
やっと願いを奪い返すことが叶った。
あとは、具体的現実において、願いを
表現していく術を求めていけばいい。
往生とは現実生活における実践である。
苦しみを通して、教えの真実性を確かめ、
念佛に帰る。反復し、いよいよ助からないことも
証されていく。
故にただ阿弥陀佛をたのむばかりである。
真の浄土真宗は無限なる反復である。
端的にいえば、真に優しいひとになりたい。
そう思うのです。もう誰も、何も奪いたくないし、
傷つけたりしたくない。こういうことです。
自分が傷つくのはいい。でも、自分のせいで誰かや何かが
傷ついてしまうのは、それ以上に耐え難く悲しい。
そういう一切が尽き果てることを祈っている。
南無阿弥陀佛