むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

人間の罪、自分の罪

夕食の準備のため、買い物に出掛ける。

沢山の人がスーパーに来ている。

陳列された棚に微かに動くものがある。

活きエビが並べられている。

弱々しくもまだ確かに生きていた。


水揚げされてからどのくらい、

生きていられるものだろうか。


少し立ち止まり、すまないと思いつつ、

もう息絶えたインド産のブラックタイガー

およびカナダ産の豚バラ肉を手に取り、後にする。


これが自分の現実である。

仏法が全く身につかない。偽らざるすがたである。



悪性さらにやめがたし

こころは蛇蠍のごとくなり

修善も雑毒なるゆえに

虚仮の行とぞなづけたる(愚禿悲歎述懐和讃)


本当に助からない。道は定まっても、現実は

悲惨なままである。誰の罪か、やはり、

自分の罪なのだと思う。罪を造らずには存在

できないものを極重悪人と如来はおっしゃるので

あろう。もはや、念佛を申すより、道がないので

あり、ここを目を逸らさずに、

しなければならない。なぜなら、心境に

酔っ払ってしまって、自身の現実を見失うからだ。

親鸞聖人は現実をごまかさなかった人であると

先達は仰る。

いずれの行も及びがたき身。これが自分の現実で

あることを忘れないようにしたい。

教えは立派で尊い。だが、自分は全て落第であり、

ただ念佛の大悲のみまします。

南無阿弥陀