夕食の準備のため、買い物に出掛ける。
沢山の人がスーパーに来ている。
陳列された棚に微かに動くものがある。
活きエビが並べられている。
弱々しくもまだ確かに生きていた。
水揚げされてからどのくらい、
生きていられるものだろうか。
少し立ち止まり、すまないと思いつつ、
もう息絶えたインド産のブラックタイガー、
およびカナダ産の豚バラ肉を手に取り、後にする。
これが自分の現実である。
仏法が全く身につかない。偽らざるすがたである。
悪性さらにやめがたし
こころは蛇蠍のごとくなり
修善も雑毒なるゆえに
虚仮の行とぞなづけたる(愚禿悲歎述懐和讃)
本当に助からない。道は定まっても、現実は
悲惨なままである。誰の罪か、やはり、
自分の罪なのだと思う。罪を造らずには存在
できないものを極重悪人と如来はおっしゃるので
あろう。もはや、念佛を申すより、道がないので
あり、ここを目を逸らさずに、
しなければならない。なぜなら、心境に
酔っ払ってしまって、自身の現実を見失うからだ。
親鸞聖人は現実をごまかさなかった人であると
先達は仰る。
いずれの行も及びがたき身。これが自分の現実で
あることを忘れないようにしたい。
教えは立派で尊い。だが、自分は全て落第であり、
ただ念佛の大悲のみまします。
南無阿弥陀佛