忍耐を学ぶ一年だった、こう言える。
ただ耐えるのではなくて、先を見据え、
堪えつつ、準備をしていく。
一歩一歩。ゆっくりかつ確実に。学んだことを
実行し、失敗し、忘れては、また思い出して。
遅々とした進み方であったが、地に足をつけて
進んできた。その中で、不思議と聞こえるものも
あった。
それは単に言葉ではなくて、言葉の裏に
あった気持ち、こころであった。そこが、
その行為や言葉の出処であり、
そこを汲み取る努力をする、こういうことが
ひとに寄り添うということに適うのだと思う。
目を凝らし、耳を澄ませなければならない。
こういうことを実地に学んできたつもりだったが、
全く分かっていなかった。
耐え忍ぶ、堪えていく、じっと時節を待つと
いうことは、他者ではなく、
自分と向き合うことなのだろうと察する。
如何に現実は悲惨で残酷で、自分は仏法に
耐えうるものでは無いとしても、
だからこそ、汝を必ず浄土に往生させると
誓いの御名、南無阿弥陀佛と念佛が出て下さる。
煩悩はそのまま。現実もそのまま。
だけれども、今、ここに、実存する自分に
大悲がかけられている。だから、何度も、
何度でも、念佛に帰ることが肝要と存じます。
本当に耐え忍んで下さっているのは仏さまで
あります。
今年も有難うございました。
引き続き来年も宜しくお願い致します。
南無阿弥陀佛