むなしさとともに

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2019年

忍耐を学ぶ一年だった、こう言える。

ただ耐えるのではなくて、先を見据え、

堪えつつ、準備をしていく。


一歩一歩。ゆっくりかつ確実に。学んだことを

実行し、失敗し、忘れては、また思い出して。

遅々とした進み方であったが、地に足をつけて

進んできた。その中で、不思議と聞こえるものも

あった。


それは単に言葉ではなくて、言葉の裏に

あった気持ち、こころであった。そこが、

その行為や言葉の出処であり、

そこを汲み取る努力をする、こういうことが

ひとに寄り添うということに適うのだと思う。

目を凝らし、耳を澄ませなければならない。



こういうことを実地に学んできたつもりだったが、

全く分かっていなかった。

耐え忍ぶ、堪えていく、じっと時節を待つと

いうことは、他者ではなく、

自分と向き合うことなのだろうと察する。


如何に現実は悲惨で残酷で、自分は仏法に

耐えうるものでは無いとしても、

だからこそ、汝を必ず浄土に往生させると

誓いの御名、南無阿弥陀佛と念佛が出て下さる。

煩悩はそのまま。現実もそのまま。

だけれども、今、ここに、実存する自分に

大悲がかけられている。だから、何度も、

何度でも、念佛に帰ることが肝要と存じます。

本当に耐え忍んで下さっているのは仏さまで

あります。

今年も有難うございました。

引き続き来年も宜しくお願い致します。

南無阿弥陀