年頭につき、自身の抱負を記す。
原点に帰る。
この一年はこういう年にしたい。
こう思うのには、二つ理由がある。
ひとつめに、最近、しきりにこう思う。
基本が大切である、と。
達人で基本を疎かにされた方は、恐らく、
ただの一人もいないはずだ。
須く基本に徹されていて、その中から、
独自の展開があったと察する。つまり、
土台なき発展はない、ということである。
二つめは、再現性である。
確かに習得したことでも、再びそれを
実現できなければ一過性に終わってしまう。
つまり、真の意味で、身につけたと言えない。
何度も同じ結果を、それ以上の結果を
実現させること、これが大切だと思う。
そのためには、やはり、永い修練が必要であり、
反復は不可欠である。
この二つを身につけるために、原点が必要だ。
基本は退屈で、極めて地味である。
反復は継続であり、継続には継続を継続せしめる
土台、即ち願いが必要である。
自分の原点は何か。信仰である。
即ち、如来の本願が原点であり、
念佛を申すところに、
信があり、大悲が具体化される。
称えて下さる、称えましょう。
先生は聞名の念佛をこのように教えて下さった。
阿弥陀如来の喚び声を知らせてもらうが念佛なり。
藤谷秀道先生はこのように仰って下さった。
この原点は無量寿で滅びない。
わが名を称えよという本願と無量寿佛の
御名をたもての善知識の勧めに従い、念佛を
申しつつ、できることをしていく。
油断せずに、務めを果たす。
迷ったら原点に帰る。
こういうことを通していよいよ助からぬ身が
暴露され、大悲が徹底していく。
暴露して下さるはたらきを智慧という。
南無阿弥陀佛